分別と言う言葉はを調べると、
- 道理をよくわきまえていること。また、物事の善悪・損得などをよく考えること。「分別のないことを言う」「よく分別して態度を決める」
- 仏語。もろもろの事理を思量し、識別する心の働き。
だそうだ。毎日、ゴミをゴミ箱に分けて捨てる時、これは、ペットボトルだから、こっち。
生ゴミはこっち。空になったドレッシングのビンはどっちだっけ? これはビンだから資源ゴミじゃないかな。
などと、考えながら捨てているのだけれど、ドレッシングを買うときはプラスチック容器にしよう、ビンの容器だと回収日も違うし、洗って持っていかないといけなから、などと考えている。
この間、小さないちごジャムのビンが空になった。
さーて、これ凄く小さいし、資源ゴミになるのかな? 集積所でも、あまり見ないし、CDとかビデオカセットが燃えるゴミとしてで捨てていいと、案内に書いてあるから、小さいビンはイイんじゃない。
ほんとに、小さな事で悩んでいる自分がいた。分別の言葉では、道理をわきませる事とか、物事の善悪・損得などを考えると書いている。
自分で自分に、小ビンはリサイクル資源か燃えるゴミかの判断に、道理とか善悪、損得まで考えないといけないとは、人間も成長したものだと感心していた。
誰かが、はっきりと小ビンは燃えるゴミと一緒に出してくださいと、言ってもらえないと、自分の良心が、善悪の判断できないため悩むのである。
自分の判断で、これは燃えるゴミだと断言できないから、ルールを決めた役所に聞くしかない。
このような訳で、昔は大雑把だったゴミの出し方が細かくなっているのだろう。
台所の壁には大きな紙「ゴミと資源の出し方・分け方」と書いてあるポスターを貼ってある。
ゴミの捨て方について、細かく明確に書いてあれば、判断を自分でしなくて良いので、良心の呵責を感じる事は無い。
人間の分別ある行動は、昔から良い事と悪い事を教えられているのに、いまだに分別のできない人間がいる。
創造主からハッキリと教えてもらった方が良い。
By Kenny
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