他人に認められたい願望とは
次に承認欲求についてお話しします。
ちょっと耳慣れない言葉ですが簡単に言うと認めてもらいたい、知ってもらいたい、理解してもらいたい欲望のことです。
赤ちゃんの時から死ぬまで、誰でも自分のことを認めてもらいたい、知ってもらいたいと思っているからです。
小さな子供でもお手伝いした時や、テストで成績が良かったら、喜んで報告してきますね。
それは褒めてもらいたし、喜んでもらいたいからではないでしょうか。
また大人になっても、職場で努力した成果を評価してもらえたら、それは嬉しいことではないでしょうか、また文化勲章やノーベル賞なども世界中の人から認められる結果としてこのような賞が設けられていると思います。
ですから、この承認欲求と言うのはとても大切で、人間が成長する上で重要な役割を果たしています。
知って貰いたい、聞いて貰いたい、認めて貰いたいという承認欲求は生理的欲望です。
これは本来人間に備わっている成長のための心の欲望で、死ぬまで無くなる事はありません。
一人より十人に、十二より千人に知って貰いたいと思うようになります。
この承認欲求を上手に利用したのが、TwitterやInstagramなどです。
「いいね」「登録」の数が多ければ多いほど、人気がでて来て話題になっていきます。
さらの、報酬まで貰えるのですから、止められません。お金を配るYouTuberも居ますから。
どのような時に承認欲求は満たされるか
承認欲求は子供から老人に至るまで、全ての人が持っています。
ではどのような時に、承認欲求は満たされるのでしょうか。
事業で成功した時、会社でトップになった時、総理大臣に任命された時、金メダルを取った時、武道館単独ライブを成功した時、紅白歌合戦に出演した時、M-1グランプリを取った時、フェラリーを乗っている時、その他にも沢山思い浮かびます。
他の言葉で表すと、賞賛される時、羨ましがられる時、優越感を得られる時、喝采を受けと時、ということになります。
この様な時は、承認欲求が満たされて幸福感を味わいます。
この承認欲求は、賞賛や優越感や喝采を受けた時に幸福感を味わう事ができるのですが、時が過ぎるとその喜びは消えて薄れてゆきます。
食べてお腹が一杯になっても、時間が経過するとお腹が空く様に、自分を褒めてくれた人々の記憶は薄れ、感動も薄れてしまい、自分に向けられていた羨望の眼差しは薄れていきます。
一度味わった喜びは忘れられず、もっと多くの承認(Recognition)を得られるよう努力するようになります。
一度頂上に立ってみた景色は忘れられないと聞きます。
もっと高い山を目指して登り始めるわけです。
山頂の景色は良いかもしれませんが、空気も薄く寒いし留まれる時間も短いです。
長くいる場所では無い様な気がします。
後から登ってくる人に場所を譲って、早く下山した方が楽では無いかと思います。
同じ承認欲求でも感謝される職業や行動が有ります。
多くの人から感謝される救助活動する自衛隊、遭難者を救出する山岳救助隊、医療従事者、ボランティアなどです。
これらの人々も承認欲求を満たす為に行動をしていますが、同じ賞賛や感謝でも違う満足感です。
というのも、承認欲求でも発展的承認欲求と非発展的承認欲求に分かれます。
発展的承認欲求とは、例えばお医者さんが患者の病気を治す為に治療する行為や、先生が一生懸命、親身になって生徒の相談に乗りサポートをする行為です。
消防士のように救出のために、命をかけて火の中に飛び込んでゆく行為など、他の人のために献身的に奉仕や仕事をすることによって、感謝され喜んでもらえる行動などです。
すなわち、発展的承認欲求とは、自分以外の人を喜ばせてあげたい、認めてあげたい、助けてあげたいなど、尽くす事によって他の人の感動と喜びを共有する事が出来る幸福感です。
一方、非発展的承認欲求とは、自分と他者を比較することで感じる優越感や他者から賞賛され羨ましがられる視線を感じ、自らを幸福と思う自己満足の感情です。
これは、比較することによって感じる自己満足の幸福感であるので、常に他者を意識して、自分が特別であり羨ましく見られる状況や環境を誇示し続けなければなりません。
高級外車や豪邸に住み、豪華な食事と優雅な暮らしを続けなければならず、絶えず普通の人から羨ましがられる姿を見せ続けなければ、優越感を味わうことが出来ないので、終わることのない富への追求を止める事はできないのです。
また、豊かな富を勝ち取った者を、最大の成功者として崇める人々に取り囲まれているので、富が無くなる事の恐怖と心配を常にしなければなりません。
富を失い平凡なレベルになれば、今まで賞賛していた取り巻きのフォロアーは直ぐに居なくなってしまう事を良く知っているからです。
そのため、より多くの絶大なる賞賛と賛美を得るためには、今以上に富を増やし大きくなり続けなければならないと言う宿命があります。
歴史上多くの富豪が現れましたが、永遠に存在し続ける事は出来ませんでした。
それは、非発展的承認欲求による富だからです。
自己満足型の承認欲求は非発展的承認欲求だ
自己満足型の承認欲求を非発展的承認欲求と呼ぶのは、自分の幸福が他の人々の幸福に発展しないからです。
自分が賛美され優越感的幸福を感じている時、賛美している人たちは喜びを感じているでしょうか。
もし、そうで無いとすれば、その幸福は自己満足型幸福で、非発展的承認欲求です。
どんなに高く険しい山でも、年月と共に削られ、富士山のようになだらかな姿に変わってゆくのが自然です。
高く積みあげた富も広く低い所へ流れて行けば、美しいなだらかな姿になり、多くの人から感謝されるのでは無いでしょうか。
承認欲求は心の成長に必要な要素であると言いましたが、承認欲求が成長するとはどのような事でしょうか。
認めて貰いたいから、認めてあげたいという思いに変わってゆきます。
幼児期から成人になるまで、褒めらて、元気付けられてきた人は、その感謝と喜びを今度は他の人への応援という形で発展してゆきます。
事業で成功した人は情熱のある若い起業家に出資してみたり、会社の重役になったら若手にプロジェクトをまかせたり、プロの選手ならアマチュア選手を指導してあげたりするようになります。
これも、承認欲求が認められる喜びより、認めて応援してあげる喜びの方がおおきいでからです。
発展する承認欲求は益々大きくなり、より多くの人により大きな応援をしてあげたいと思うようになるので、自然と名声と称賛を受けるようになるのです。
認められる事より、認めてあげる事を
褒められる事より、褒めてあげる事を
賞賛される事より、賞賛してあげる事を
応援される事より、応援してあげる事を
許される事より、許してあげる事を大切に。
承認欲求が満たされると言う事は、自分の存在が認められる事、自分の存在する価値が認められる事、自分が存在し生きた人生が認められる事です。
次のトピック
8. 愛は心の成長に必要
9. 心の傷と体の傷はどうしたら治るのか
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