幸せの鍵はなんでしょうか
自分の幸福を追求すれば。一握りの人間の幸福ではなく、国を超えて地球全体の幸福が実現しなければなりません。
なぜなら、他人の不幸や苦痛を見ていることは、自分にとっても苦痛だからです。
隣の国が、飢餓で死にそうな状況の時に、自分が食事を美味しく食べる事が出来るでしょうか。
知らなかったのならともかく、見たり聞いたりしてしまったのなら何もしないでいられないでしょう。
自分の良心は、他人が困っている時は助けるべきだと思うようにさせてくれます。
知人や親戚関係は助けるけれども、それ以外は自分とは関係ないから仕方がないと考える人もいます。
「自分とは関係が無い」という考え方が、人類が幸福になれない理由の一つです。
幸福は、個人から始まり最終的には全ての人が幸福にならない限り、本当の意味で幸せを感じることはできないのです。
他人の不幸を見て見ぬふりはできないのですから。
自分に良心があるので、そのままでは良心の呵責を感じるようになるので、自責と後悔で苦しむようなるからです。
他人の幸福まで構っていられない。それは国がすることだ。と考える人も多いでしょう。
このように他人に関心を持たない世界は、自分も他人に関心をもたないようになり、他人も貴方に関心を持たないようになるということです。
貴方が助けを必要な時や困っている時に、周りの人は貴方と関係が無いので助けることはないでしょう。
そのような他人に無関心の世界は理想の世界にはなり得ません。
思い荷物を持って階段を登っている時に、助けを求めても誰も関心をもって助けてくれない社会がよいですか?
それより、貴方が困っているのを見て声をかけてくれて、助けてくれる社会が良いでしょう。
自分がもし他人の立場だったら考えられる人は、成熟した人間の姿だと思います。
人類が一つの有機体のように、もし足が痒ければ、手でその足をかいてあげます。手にとってはなんの利益にもなりません。
いつも汚い臭い場所で体を支えている足は、いつも綺麗にしている手とはなんの関係もありません。
脳に命令されて、仕方なく足を掻くのでしょうか。
むしろ、積極的に手が足をかいてあげるのではないでしょうか。
それは、足が必要としていることを手が理解しているからです。
足の必要なことを体全身で理解しているからです。
手に刺さった小さな棘を考えてください。
体全体から考えたら、棘くらいで命に関わるほど重症ではないし、痛みも小さいものです。
しかし、実際はこの小さな棘がきになって、家事も出来ないし仕事も出来なほど、生活に影響してきます。
体全体が、早く棘を取って欲しいと願う様になります。
何故でしょうか。それは、一つ一つの細胞が全体とつながっているからです。
地球がこの人間のように一つの有機体だとすれば、地球上の些細の出来事もすべての人類の関心ごとであり、もし一部の人が困っていれば、それに対して援助をするのは当然だと思うようなるのです。
幸福とは生理的幸福の満足と社会的幸福の満足から成り立ちます
人間の基本的幸福の要素である生理的欲望
体の成長=食欲、睡眠欲、性欲
心の成長=承認欲求、知識欲求、愛願欲求
人間社会の成長に必要な幸福要素である社会的欲望
自由の欲求=経済、時間、健康
共有の欲求=職場、友人、家庭
人間の幸福の基本は、体の成長に必要な要素が最初に重要なことです。
生理的要素が縦軸で社会的要素が横軸です。
生理的要素が上下、高さであり深みで、社会的要素が広がりです。
人間に人権が尊重されるようになった現在でも、毎日多くの餓死者や食料難に困ってい人が存在していることを聞かされます。
基本的人権の第一は衣食住です
自分が食べる為に他人を殺害するという話を聞くと、なんと自分勝手な犯罪と思うでしょう。
その殺人者が自分の子供に食べさせるために、殺害したとなれば、本当に悲しい話になります。
被害者が持っていた食料は自分が食べるためでは無く、孤児院に持っていくための食料であったなら、さらに悲しい話となってしまします。
日本は日本国憲法に
第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
と明記されています。
幸福を享受するためには、健康で文化的な最低限度の生活が保障されて、成り立つものであると思います。
幸福の鍵とは衣食住の保障と自分以外の世界に関心を持つ思いやりの気持ちです。
無関心はやがて自分自身の幸福を奪っていくかもしれないのです。
他人の幸福への願いが、自分の幸福の鍵ではないでしょうか。
世界の平和と幸福はそこから出発するでしょう。
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