15. 永遠の魂が存在する理由

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幸福のまじめな話

永遠の魂が存在する理由

永遠の魂の存在については、前回少し話しましたが、永遠ということについて話しましょう。

魂とは、言い換えれば心です。

心の活力、精神、気力、生命とも言えます。

魂が永遠である必要があるのでしょうか? 

はい、永遠でなければならない理由が有ります。

その一つの理由として、人間を創った創造主が永遠の存在であるので、その創造主が創った人間も永遠で無ければなりません。

例えば、ある陶芸家が作った器があるとしましょう。

他人にとってはなんの変哲もない器かもしれませんが、作った陶芸家にとっては思いのこもった作品ですし、その器を死ぬまで大切にしたいと思うでしょう。

生きている間は大切にしたいと思うに違いありません。

愛犬家にとっては、犬は家族であり、ずっと一緒にいたいでしょうし、誰も犬が早く死んで欲しいとは思いません。

飼い主が永遠に生きられるのであれば、愛犬も永遠に生きて欲しいと願うのでは無いでしょうか。

人間がこのような性質を持っているのであれば、創造主も同じ性質を持っているに違いありません。

だから創造主は人間を永遠な存在として創られたのです。

二つ目の理由は、人間の魂とは、肉体に宿った心であり、生命である

と言いました。地上の生活で体験してきた人生の記憶と記録が全て入ったのが霊人体です。

人間の心の成長は、内的生理的欲望の要素である知識欲求、承認欲求、愛願欲求が、満たされることにより心が成長します。

善なる動機がもたらす発展的承認欲求の追求は共有の幸福をもたらし、霊界で生活する霊人体を大きく成長させます。

この世での生きる目的の一つは、死後の世界で自由に生きる為の準備期間として、自分の霊人体を大きく成長させる事です。

霊人体の成長は、生きている時にどのような生活をしたのかで決まります。

以前に、人生はフェアーでは無いといいました。

地上にいる間だけを見ると不公平に見えても、霊界に行って永遠の人生を含めて考えると、全くの平等だということです。

生きている時に、徳を積みなさいと言われます。

徳を積むとは、見返りを求めないという意味です。

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これは人から聞いた話ですが、人間には一人一人、徳積口座という預金通帳を持っていて、良い行いをすると、預金通帳にポイントが溜まっていくようになっています。

死ぬときは、その通帳を持って霊界に行き、溜まったポイントを使って生活するようになっているそうです。

ある時、出来の悪い孫が、おばあさんの通帳を見つけて、たくさんポイントが溜まっているので、少し使って見ようと思いました。

もちろん、後で自分が良いことをしてポイントを返せば良いと思ったからです。

その、通帳を持ってからは、お金は貯まるし、仕事は順調、彼女も出来て、とても幸せな時間を過ごしていました。

おばあさんの通帳のことなど、すっかり忘れてしまいました。

しばらく経つと、車で事故に合ってしまい、大怪我をして入院してしまいます。

会社は倒産して、彼女も他の男性と一緒に逃げてしまいました。

さすがに、急にこんな事が起こるには、何か原因があるはずだと考えていると、盗んだおばあちゃんの通帳が気になりました。

しまってあったおばあちゃんの通帳を見ると、残高がゼロになっていました。

だから、自分に悪い事が起こったのだと悟ったのです。

話には、続きが有ります。

やがて、おばあちゃんが亡くなりました。

出来の悪い孫は、流石に申し訳無く思い、少しでも人助けをして、ポイントを返そうと思っていたのですが、なかなか溜まりませんでした。

でも、死ぬときは皆、この通帳を棺桶に入れて埋葬する習慣だったので、孫はそっとその通帳を棺桶に入れました。

その時、通帳がキラッと光ったので、気になって通帳の残高を見ると、孫が使ってしまう前のポイントが記帳されていたので、ビックリしました。

同時に、おばあちゃんが霊界に行って、不自由な暮らしをしなくても良いと思うと、すこし胸を撫で下ろして、罪悪感がちょっとだけ和らぎました。

家に帰って、これからの人生は頑張って、徳を積む生活をしようと思い、自分の通帳を見ると、おばあちゃんの通帳に戻されたポイントとまったく同じ数のポイントが、マイナスになって、記帳されていたという話でした。

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人間の魂の成長は、個々人が生きている間に、何をしてどのように生きたかで決まります。

人の人生をお金で買う事は出来ないし、誰も知らないからと言って、悪行をすれば、必ず記録されます。

また逆に善行をすれば、魂が、霊人体が成長します。

日本では昔から誰も見ていなくてもお天道様が見ているから、悪い事をしてはいけないと諭されましたし、嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれると脅されました。

悪行とは、自己満足的欲求を追求することで、他人と喜びを共有する事がない、自己中心的な非発展的欲望の行動です。

善行とは、公的欲望を追求することで、他人と喜びを共有することが出来る、共有幸福感を感じる事ができる発展的欲望の行動です。

創造主は、全ての人間は等しく同等の価値を持っていて、唯一無二の存在であるように創られました。

悪い行いをした人間でも、良い行いをした人間でも、その価値は全く同じです。

それは、一人の人間は、個性真理体であり、一人の人間の個性は、永遠に存在するからです。

同じクローンを作る事はできません。

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ジグソーパズルで例えると、10000万ピースからなる絵があるとします。

9999枚のピースは完成していますが、一枚だけ見当たりません。

たった一枚ですが、これでは完成したとは言えません。

もし、自分がこの一枚のピースだとすれば、自分の存在が、この絵と同等の価値があり、自分よって絵が完成すると言えます。

同じように、創造主にとっては、人間一人一人が、掛け替えのない存在であり、不可欠な存在であり、その価値は全宇宙と等しい価値があると言えます。

人間が創造主の理想とする段階まで、成長する為にも魂は永遠でなければなりません。

三つ目の理由は、愛があるからです。

人間は生理的欲望の一つに愛願欲求が生まれた時から死ぬまで備わっています。

幼少期は親から愛を際限なく受け、成人すれば結婚して、対等の立場で愛を育てて、親になれば、無償の愛で子供を育てるようになっています。

愛のレベルは歳を経るに従って、成長し階段を登って行くように高くなってゆきます。

成長した愛は、受けるのではなく、与えることにより、より多くの刺激と感動と喜びを得ることが出来るようになっていて、終わることがありません。

期限付きの愛情など必要ありません。だれも欲しいとは思わないでしょう。

このように、人間の魂の中心は愛です。子供に対する愛情に終わりがあるでしょうか。愛の為に命を捨てる人はいますが、命の為に愛を捨てる人は少ないでしょう。

ですから、愛の存在は、肉体を超えた存在であるので、死後の世界でも愛が存在していて、その愛が永遠であるので、愛が宿る魂も永遠で無ければなりません

魂が永遠に存在する理由は、
創造主が永遠の存在であるから、人間の魂も永遠に存在する。
魂の成長は完成するまで永遠に続くからです。
人間の魂の中心が愛であり、愛は永遠だからです。

次のトピック
16. 生きる目的を明確にする
17. 究極の喜びとは何か

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