生きる目的を明確にする
人生は目的を見つける為にあるのだ。と、言う人もいますが、全くの間違いです。
なぜなら、目的は達成する為にあるからです。
スポーツ選手に聞いて見てください。
あなたの目的はなんですかと、明確な目的を持っているはずです。
金メダルを取る為とか、大会で優勝する為とか、目標を設定してそれに向かって、努力するのではありませんか。
目標は達成する為に有る。
であるならば、人生の目標はと聞かれたら明確に答えられるべきだと思います。
仕事での目標や学校での目標、家族の目標、老後の目標などは、人によって計画を立てて実行しているかもしれません。
企業することだとか、有名大学に入学する事だとか、家を持つことだとか、引退後は自分の趣味を仕事にしたいだとか、人それぞれの目標や夢を持っていることでしょう。
それは、素晴らしいことだと思います。
野球選手が大リーグで実績を残し大成功したと言われれば、夢を叶えたことでしょう。
引退後は、次の夢に向かってすすんでいるのを見ると、幸せな人生だなと思うのではないでしょうか。
全ての人が、其々の分野で成功するとは限りません。
1番があれば、2番があります。
マラソンを考えてみてください。
同じスタートラインから出発しているのに、トップでゴールをする人もいますが、最後尾のランナーもいます。
皆、同じゴールに向かって走りましたが、一番になって栄光の賞賛を受ける人もいますが、一生懸命努力したが、残念ながら最後になってしまう選手もいます。
負けた選手でも、その負けをバネに次の大会に向けて努力して、良い結果をもたらす場合もあります。
それが、人生だというでしょう。いや、それは人生の一部です。
誰々はサッカーの申し子だとか、神であるとか言われています。
それも、その人の人生のワンカットです。
もし、それぞれの分野で一番になった人だけが、人生の成功者であるならば、非常に不公平では無いでしょうか。
経済的に困窮していれば、塾にもかよえないし、スポーツ留学もできないし、ピアノのも買えないなし、学費も払えません。
どうして平等といえるでしょうか。
目に見える結果だけで、人生の評価をするのでしょうか。
マラソンの順位で、その選手を評価するでしょうか。
しかし、マラソンチームのコーチは違うと思います。
選手一人一人の練習や努力する姿をみて、その選手の取り組む姿勢や人格までも含めて、評価しているのでは無いですか。
だとすれば、人間を創造それた、創造主もあなたの人生をどのように評価するでしょうか。
いや、多分評価はしないでしょう。
むしと応援をしていると思います。
子供を十人育てている親に聞いてみましょう。
学校の成績が、一番の子供だけ褒めますか。
親の手伝いをする子だけ褒めますか。
親に反抗する子供を嫌いますか。
体に障害をもって生まれた子供だけ大切にしますか。
親は、子供全員に等しく愛を注ぎ、大切に思っています。子供一人一人の成長に合わせて、応援の方法が違うだけです。
創造主も同じです。
人間一人一人の個性に合わせて、応援の方法や時間が違うだけです。
人間はどのように生きるべきかを問うならば、何故人間は創くられたかを知るべきです。
人間の生きる目的
⬇️
人間が存在する目的
⬇️
人間が創られた目的
⬇️
人間を創った目的となります。
このような論理になる事は理解できますか。
携帯電話を例にお話しします。
携帯電話が存在するという事は、それを存在させた製作者が存在します。
携帯電話の存在が無いと言えば、嘘になります。
ですから、存在するということは、必ず製作者、存在を可能にした製作者がいます。
携帯電話に聞いてみましょう。
あなたは、なんの為に存在するのですか?
携帯電話:何故だかわかりません。作った人に聞いてください。
製作者:みんながどこでも誰とでもコミュニケーションとれるように作りました。
携帯電話:そうですか。知りませんでした。
存在目的は創造目的と同じです。
ですから、人間を創った創造主に、何故人間を創ったのかを聞けば、人間は何の為に生きるのかが解ります。
では、創造主に聞いてみまましょう。
と言っても無理ですよね。
携帯電話の製作者が見つからない時は、仕方ないです携帯電話を分解して調べる事により、100%は解らないですが、少しは製作者の意図が解るのではないでしょうか。
材質はどのようなもので、スピーカーも付いているな、マイクもあるな。
バッテリーもあるぞ、液晶画面を使っているな、電波の受信機をついているな。
形も小さいし、手で持つのも楽そうだという規格はわかりそうです。
もう一つ例を挙げると、有名なモナリザの絵の作者は、イタリアの美術家レオナルド・ダ・ヴィンチです。
モナリザの絵は1506年頃制作されました。
500年前に亡くなっている彼を知ることは出来ませんが、この作品を調べる事により、油絵の画材はどのような物を使っているのだろうか、彼の技術や構図はどの程度なのだとうか、ということが分かってきます。
絵画は携帯と違って美術品であり、レオナルド・ダ・ダビンチという作者がいます。
作品には彼の思いや感情が描かれていて、見る人にその感情を伝えてくれます。
携帯電話とは比べられない、ダビンチの性格や心情がそこに込められているからです。
携帯電話 > 材質、技術、性能、規格
モナリザ > 材質、技術、ダビンチの思いや感情、意図
であるならば、人間を調べることにより、創造主がどのような存在であるかということが、少し解るようになるに違いありません。
人間は、肉体と心から成り立っています。
肉体は心が宿る3次元世界の道具です。
心の思ったように動き、機能するからです。
体は、無意識に生理的の動いている心臓や内臓や交感神経、副交感神経や、ホルモンの分泌や免疫細胞などで、肉体を正常に保たれています。
これとは、別に心があり、行動や感情をコントロールしています。
心が主体で肉体は対象です、心は永遠で肉体は有限です。心が原因で肉体は結果です。
心とは知識と感情と意思が一つになった魂、心情です。この魂の中心が愛です。
人間の心の中心は愛ですから、心を持っている創造主の心の中心も愛であるという結論です。
人間は生理的欲望があり、その中でも心の成長に必要な三つの要素があります。
一つは、知識欲求、二つ目は承認欲求、そして一番大切な愛願欲求です。
愛願欲求は生理的欲求で、赤ちゃんの時から死ぬまで無くなる事はありません。
愛願欲求は、愛の成長を促し、段階的に成長させてゆきます。
14歳頃までの幼少期の愛は一方的に求める愛、結婚後は共有する愛、親になったら無償の愛へと成長してゆきます。
人間が無意識の内に求めている愛の追求が、人間の心を完成段階まで、導いているという事です。
愛願欲求が満たされる時に喜びを感じます。
愛の完成する時は、最高の幸福感を味わうようになり、それは共有する幸福感なので、喜びを多くの人と分かち合うことができます。
結論、人生の目的は、心の完成であり、愛の完成です。それは幸せの完成とも言えるでしょう。
どんな環境にいようとも、どんな職業につこうとも、どんな時代に生きようとも、どんなに貧しくとも、どんなに苦しくとも、どんなに悲しくとも、全て等しく心の成長を競っている人生なのです。
ゴールは霊界に行くまでですが、評価は霊界に行った時に解るでしょう。
中には納得できない人がいるかもしれませんが、これが真理であり本当の事です。
人生の成功者とは、愛を完成した人だと言えます。
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17. 究極の喜びとは何か
18. 結婚に愛は必ず必要か
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