霊界と死後の世界はある
死後の世界は有るのか。この質問はみんな、関心があると思いますが、曖昧に、しているのではないですか。
とても、大切な事だと思います。存在するか存在しないかの二者選択ですから。
死後の世界は無いと主張する多くの人々は、目に見えないから、見た事が無いから存在しないと言います。
とすると、人間の目では『見えない』=『存在しない』という論理になりますが、これに同意する人は誰もいないでしょう。
何故なら、人間の目で見えなくても存在する事や物質が沢山あるからです。
存在する物には目に見える物と見えない物がある
このように考えた方が理論的であり納得できます。
人間の肉眼で見える範囲はごく限られています。
では、肉眼で見えない世界を知るにはどうしたら良いでしょうか。
よく赤外線カメラを使った映像を見ますが、暗闇でもはっきりと物を見る事が出来ます。
しかし、霊界が赤外線で捉えられる存在ではないようですので、それでは見る事が出来ません。
夢で亡くなった方を見る人もいるようですが、それでは存在を他人の証明する事が出来ません。
白昼に幽霊を見たという人もいますが、同じ場所にいた他の人には見えなかった場合も証明にはなりません。
臨死体験をして幽体離脱も経験したことを書籍に書いて公表している方もいますが、個人の体験であって、死後の世界の存在の決定的証明にはなりません。
なんらかの霊的体験をした人は、霊界の存在を信じますが、それ以外の人に霊界の存在を証明し、信じさせる事が出来ていないのです。
なぜ色々な霊的現象は体験をした人が多いのに霊界や死後の世界が曖昧なのでしょうか。
原因は、霊界が3次元の存在では無く、4次元、5次元の世界だからです
一次元の線上に住んでいる人が、二次元の世界は想像できません。
線上で両方からきた人がぶつかった時、お互いに対面したまま、すれ違う事が出来ません。
横にずれて譲り合う事が出来ないからです。
二次元に住んでいる人は、高さという概念が有りません。
ですから三次元の世界を想像する事が出来ません。
同じように、人間が住んでいる三次元から、四次元を想像できないし、証明もできません。
では、四次元とはどんな世界でしょうか。
今住んでいる世界が、三次元なので四次元の世界は証明できませんが、想像する事は出来ます。
二次元でも、空に飛行機が飛んでいるとしましょう。
見る事は出来ませんが、飛行機の影が地面に映れば、その影の形を見て、何か分からないけど想像する事は出来るでしょう。
四次元は時間とか空間の概念がない世界だと言われています
時間が無いという事は、同じ所に数十万年の歴史が同時に存在するわけです。
当然空間という概念もありません。今が100年前であり500年前です。ややこしいですね。
順番に考えてゆきましょう。
宇宙や時間は誰が作ったのでしょうか。ここから始めましょう。
ここに携帯電話が有ります。誰も疑いませんし、確かに手に取って見ることも出来るし触って確認も出来ます。全員が携帯電話の存在を認めました。
ということは、これを作った人がいるということです。
自分が作ったのでなければ、誰かが作った製品であるということを否定できません。
必ず製作者が存在します。
携帯電話の存在を認める > 製作者がいる > 携帯電話が存在する
携帯電話が先ですか? 製作者が先ですか? 製作者が先で、携帯電話が後です。
製作者が原因で、携帯電話が結果です。
これを、人間に当てはめて見ると。
人間が存在しているという事は、人間が自分で自分を作ったので無ければ、創った製作者がいるということになり、居ないということは出来ません。
人間の存在を認める > 創造者が存在する > 人間が存在する
この創造者を宗教では神と呼び、哲学では第一原因といいます。
これは、宇宙を当てはめても同じです。
宇宙の存在を認める > 製作者が存在する > 宇宙が誕生した
宇宙が結果で製作者が原因です。
長い時間をかけて自然と作られたという学者もいますが、それは時間のマジックです。
設計図も無しに、混沌とした世界から秩序と法則に沿った世界ができるでしょうか。
よく、考えて見てください。
レゴで出来た車のおもちゃをバラバラにして、箱の中に入れて1億年振り続けても、車は出来ません。
1組2組が合わさって出来ても、さらに継続して組み立てられてゆき、車が自然に組み立てられるという考えの方が、理解不能です。
完成した車にするには、時間では無く、計画書と意思が無ければ絶対に完成しないという事は明白な事です。
それでも、自然に突然変異でそうなったと主張するなら、突然変異を起こさせた「自然」に意思と計画があったという事です。
意思と計画を持った自然に名前をつければ、「神」か「第一原因」ということになります。
ここでは、創造主と呼んで話を進めて行きたいと思います
理解して頂けたかどうか分かりませんが、人間の存在は結果の存在で有り、創造主が原因で有るという事です。
では、何故、創造主は霊界を作ったのでしょうか?
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の経典で有る旧約聖書には、モーセが創造主に向かって、あなたは誰ですかと尋ねたら、「わたしは、有って有る者」「私は有る」出エジプト記3章14節、 「わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終わりである」ヨハネ黙示録21章6節と言われている。
この事は、先ほど述べたように、人間が存在することは、紛れもなく創造主が存在するという事なので「有って有る者」と言われたのでないでしょうか。
また、初めであり終わりで有るのは、円は初めと終わりが同じであることから、創造主は永遠であるということでは無いでしょうか。
だとするならば、創造主が永遠であるならば、その創造された作品も永遠で無ければならないはずである。
創造主は永遠の存在なので、創造された人間も永遠の存在である
時間とは初めが有り、終わりが有るということで、永遠とは時間が無いということです。
人間は3次元の世界で生きていて、時間と空間に制限されています。
人間が永遠に存在するようになるには、時間と空間に制限されている肉体を捨てなければならないということになります。
人間から肉体と心(魂、生命)から成り立っているので、肉体を取り除くと心だけが残ります。
心は肉体を持っている時でも、時間と空間を超えて存在しています。
愛する人がいれば、自分の心は時空を超えてどこへでもいけます。
亡くなった人にも思いを届ける事が出来るのです。歌の歌詞にも、こころはどこへでもいくよと書かれています。
肉体は有機化合物で、心を育てる家となっていて、心が十分に成長すると家を捨てて、永遠の死後の世界へと旅立つのです。
蝶の成長と同じように、葉の上だけで生きていた幼虫が、時が来ると蛹となり蝶々となり、空に飛び立っていくように、人間も肉体を捨てて、霊界へ行き永世するようになっています。
人間=(心+肉体)― 肉体 = 心、魂、生命(永遠)
人間の肉体も生命が宿っているうちは、朽ち果てませんが、生命が肉体から離れると分解されて、土に戻ります。
では、創造主が永遠の存在ならば、何故、人間も最初から霊界だけで生きる人間を作らなかったのでしょうか。
言い換えれば、なぜ時間と空間に制限される世界を創り、人間をその世界に生まれさせたのでしょうか。
時間と空間の必要性について考えてみましょう
時間が存在するという事は、初めがあり、終わりがあるという事です。
時間の流れ、経過が存在します。
人間に例えるなら、小さい赤ちゃんに生まれて、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人、結婚、親、家族、祖父母、老人になっていく成長過程が存在するようになります。
人間の自由な行動は、真理と美と善行を追求すると話しました。
人間がこのような追求心を持っているという事は、その人間を創造した創造主も、これらの追求心を持っていると言って良いでしょう。
創造主が人間の求める美しさは、3つの要素が有ります。
量感の美: 一輪のバラより、10万本のバラ園の美しさはそれ以上に感動的である。
多様性の美: 花壇に植えられているチューリップが赤一色よりも、黄色や青や桃色や紫などの色鮮やかな色で、咲いている方がより美しく感じられる。
変容の美: また一年中同じ花が咲いているよりも、四季を通して多種多様な植物が変化してゆく姿は、美しく情緒がある。
創造主は、人間が繁殖し大家族になる事を望み、色々な個性が文化と芸術を生み出し、少しずつ成長して変化してゆく姿を見たかったのです。
その為には、移り変わり成長する人間を見て喜び幸福感を得るには、時間と空間を作る必要があったのです。
人間の成長する姿とは、肉体の成長だけでは、ありません。
人間の生理的欲望には外的生理的欲望が肉体を成長させ、内的生理的欲望の知識欲求、承認欲求、愛願欲求が心の成長要素であると説明してきました。
創造主は人間が、100年の肉体の寿命の間に、心を成長させ完成させて、肉体を捨てて霊界へ移り住み、永遠の交流をすることを願われたのだと思います。
結論、創造主が永遠の存在なので、創造された人間も永遠の存在である為に、肉身を脱いだ後に住む、時空を超えた霊界、死後の世界が存在しなければならないのです。
次のステップ
15. 永遠の魂が存在する理由
16. 生きる目的を明確にする
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