命より尊いものは愛である
もちろんです。
では、何故 愛は命より尊いのでしょうか。
納得出来るように説明をして見たいと思います。
なんだか、鶏が先か卵が先かの論理になりそうですが。
いつものように、原因と結果の理論で話をすすめたいと思います。
愛は心の核融合エネルギーです。
心と心が激しくぶつかって結合して、一つになった時に膨大なエネルギーを発生させます。
簡単にいうと、男性と女性の心が通じ合い、同じ波長を感じると共鳴しあうようになります。
共鳴した二人の心は激しく揺さぶられて、回転運動となり一体となり生命のエネルギーを生み出します。
それが愛です。
親子でも同じように、親が産んだ子供に対して、心情が自然と引き寄せられて心が奪われてしまいます。
親は子供の全てを心の中に取り込みます。
おむつを替える時から、成人になるまで、ずーと心の中に存在しています。
いや、死ぬまでかもしれません。
子供と一体となるんです。
そうすると、心の核融合が産まれて愛の無限のエネルギーが出てくるようになります。
子供に対しての無償の愛、無限の愛のエネルギーが生まれるんです。
最近は幼児を虐待しているニュースを聞くことがありますが、親が子供を心の中に取り込めていないんでしょうね。
夫の関係や他に理由が有るかもしれません。
生命とは神様から頂いた愛の種です。
生命という愛の種を植える器は、夫婦が愛のエネルギーで合体した時に作られます。
精子と卵子が一つになった時に、愛の種が植えられるのです。
電気がショートするように、二人の間で電流が流れてスパークしてしまったようにです。
そう、生命が誕生するのです。
すでに結論は分かっているかもしれませんが、
命は愛が生まれた所に生まれるということです。
すなわち、二人の愛が誕生した所に、神様からの愛の種が植えられるという結論になります。
愛が先か生命が先かの議論は、愛と生命は同時に生まれたということです。
神様は自分のことを始めであり終わりであると表現しました。
愛と命の関係も、愛であり命で有ると言えるのではないでしょうか。
愛を失うことは、生命を失うことであり。
生命を失うことは、愛を失うことです。
時間的空間の中では、愛が二人を結びつけた後に、生命が誕生するようになります。
ですから、愛が原因で生命が結果的存在です。
命より愛が尊いと言うことです。
なぜなら、愛が無ければ命は生まれないからです。
命の為に愛を犠牲にする人は居ないでしょう。
愛の為に命を犠牲にする人は居るでしょう。
貴方はどう思いますか。
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