平和になれない理由とは
日本では、年の初めに神社やお寺に初詣に行って、家内安全と世界平和をお祈りします。
イスラム教徒で毎年行われているメッカ大巡礼の人数は300万人です。
無宗教と思われる日本は明治神宮だけでも、初詣に300万人もの人が参拝します。
全国では正月の三日間だけで1億人近くの人が参拝します。
外国から日本を見ればとても熱心な信仰を持つ民族に見えるでしょう。
でもアンケートを取ってみると、日本人の半数は無宗教と答える。
不思議な国です。
平和を愛するのは日本人だけではなく世界中の人々が平和を願っています。
平和の祭典もあります。
大きな疑問は、全ての人が平和を願っているのに,争いが無くならないのはどうしてでしょう。
大きな矛盾ではないですか。
その矛盾の原因を突き止めれば、解決すると思います。
矛盾とは『韓非子』難一篇に出てくる故事で「どんな盾も突き通す矛」と「どんな矛も防ぐ盾」を売っていた楚の男が、客から「その矛でその盾を突いたらどうなるのか」と問われ、返答できなかったという話から、どちらを肯定しても男の説明は辻褄が合わないということからきています。
言っている事とやっていることが合わない。
昨日と今日の言っている事が合わない。
など、身近によく使われますが、ネガディブな時に使われる言葉のイメージです。
数学や化学にこのような矛盾は存在しません。
不思議だと思う事はあっても、誰も矛盾した計算式や方程式は存在しません。
仮説の段階の物理学や自然科学の分野では、実証されるまで、幾度かの訂正や修正が行われることもあります。
自然や宇宙にまだ解明されていない神秘的な出来事がたくさんありますが、正体がわからないだけで、矛盾している理論は有りません。
しかし、この社会生活の中には、時々矛盾した行動が見られます。
人間自信が矛盾した存在である
それは、人間自体が矛盾した存在だからです。
しようと思ったが出来なかった、したく無いのにしてしまった、人間の心には葛藤や躊躇があります。
思った事が出来たらどんなに楽になるでしょうか。
人間には良心があります、その良心は自分が正しいと思った行動をする時のアクセルであり、間違っていると思っている行動をしようとする時のブレーキです。
では、なぜ良心がブレーキを踏んでいるのに、それでも間違った方向に行動してしまうのでしょうか。
それは、良心とは反対の方向の力が存在するからです。それを邪心と呼びます。
邪心とは自己中心的欲望で、自分勝手な言動につながります。
独占欲、支配欲、貪欲、残虐、無慈悲、非道、虐殺、暴力、妬み、嫉妬、恨み、非常識、姦淫、暴行、窃盗、傷害、優越感、卑下、罵倒、詐欺、反逆、裏切り、虚偽、悪行、陰口など、数えきれないほどの邪心があります。
邪心の行動は、他者の幸福を追求する権利を侵害し妨害し制限する行為です。
自己満足的欲望を追求することにより、利己的幸福感と悦びを得る事が出来るので、
興奮し陶酔した邪心を忘れる事が出来なくなります。
良心を否定して邪心を追求することで得られる興奮と悦びがリンクしていくようになり、量感の興奮がさらに、悪の方向に進んでいくようになります。
生理的欲望なので満足する事は無く、さらにもっともっとと悪の闇の中に進んでいくようになり、外部からの制限や抑制がないと止まらなくなり、残虐行為を行って行きます。
これが、発展して世界中でみられる紛争の原因です。
人間の心にある良心と邪心の葛藤が、争いの原因です。
邪心の追求する先は、闘争と破滅の世界となり、良心の追求する世界は共存、共栄、共有の社会です。
ですから、世界の様相は人間の心の反映であり、人間矛盾を解決するとが、平和への第一歩と言えるでしょう。
次のトピック
14. 霊界と死後の世界はある
15. 永遠の魂が存在する理由
Comments