9. 心の傷と体の傷はどうしたら治るのか

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幸福のまじめな話

心の傷と体の傷はどうしたら治るのか

普通の生活をしていても、突然、被害者になる場合もあるし、加害者になる場合もあります。

ルールや秩序を破って犯罪者になってしまうこともあります、それによって大きく傷つくこともあります。ここでは心の傷と肉体の傷について話してみたいと思います。

肉体の傷について考える時に、ちょっとナイフで手を切ったら血が出てきて痛いですね。

そこで最初にすることは手当をします。消毒液で傷口を消毒してバンドエイド貼って、痛ければ痛み止めも飲みます。

通常なら一週間ほどたてば、傷口も塞がり、痛みも和らぎ一ヵ月後にはすっかり治ってしまうでしょう。でも傷跡は残りますよ。

もっと重症な怪我の場合もあります。

例えば、工事現場で作業中に手を機械に挟んでしまい、手首を切断してしまった場合などは、傷口が塞がって、痛みが取れたとしても、一生義手をつけなければならないし、非常に不便な生活を余儀なくされます。

原因が自分の不注意であっても、事故であっても元には戻りません。

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心の傷の軽症と重症

これと全く同じように、心の傷にも軽症と重症の場合があります。

程度の差は個人によって違いますが、裏切られたり騙されたり、あるいは恋人から振られた時など、時間とともに癒される場合もあります。

それがトラウマとなって一生苦しみ続けて、正常な考え方とか生き方ができなくなってしまう場合もあります。

すぐに人を疑うようになったり、誰も信用できなくなったり、人との交流を避けるようになったり、そして引き篭もりになったりしてしまうわけです。

これも社会的人間関係における、家族、友人、職場環境の中でもたらされることが多いです。

一人でいる時には感じないことも、人と人との関わりを持つことにより、関係が良好なら幸福の要素となり、関係が悪ければ不幸の要素も持つことになります。

信頼していた友人から裏切られれば、深く傷つきますし後遺症も残るでしょう。

許すことが出来たとしても忘れることが出来ず、新しく友達を作ろうとすることの弊害にもなります。

また他人から裏切られることの怖さと悲しさを知ってしまった場合には、心の傷として癒されることなく長く残ってしまうのです。

聖書でもこう書いています。

「悪い想い、すなわち、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹りは、心の中から出てくるのであって、それが人を汚すのである。

幼少期に必要な愛の要素

家庭内においても、親に虐待された幼少期を過ごした子供の場合は、この体験が心の深い傷となります。

本来、守られるべき立場であるのに、虐待されることにより不安と恐怖と孤独と不信よって幼少期を過ごすことになります。

この様な子供は、幼少期に心の成長に必要な愛を受けられず、不足してしまった愛の要素を大人になってから満たそうとする愛願欲求があるに違いないのです。

幼少期を過ぎて、成人したのに何故、まだ不足した要素を満たそうと願うのでしょうか。

愛願欲求が生理的欲望の要素であり、心の成長のためには必ず必要な栄養素の一つだからです。

植物に例えるならば、大地に植えられた種が水と空気、そして太陽の光を受けて少しずつ段階を追って成長するように、人間の心も段階を追って成長するようになっています。

大地に蒔かれた種は、根を張り、目を出し、葉を広げて太陽の光を受けて成長し、やがて大きな木になってゆきます。

植物もこのように順序どおり段階的に成長するように、人間の心の成長にも順序と成長に伴い、その時期に必要な心の栄養素が必要なのです。

幼児の肉体の成長は母乳で育ちますが、心の成長には母親からの愛の眼差しと愛の抱擁に守られていると言う安心感と温もりが必要です。

幼少期に得るべき愛の要素が足りなければ、それはいつか埋め合わせなければならないのです。

100枚のジグソーパズルの内、一枚でも無ければ完成しません。

失った一枚のピースはパズル全体の価値と同じくらい大切であるといえるでしょう。

そのために、大人になっても欠けている部分を補充したいという動機から、母親以外の人から得たいと思うようになります。

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不足した愛の要素を妻や夫に求める

結婚してからも、母親から得られなかった不足分の愛を妻や夫に求めてしまうこともあるわけです。

必要以上に甘えたり、急に怒ったり、わがままを言ったり、困らせたり、欠けている愛の要素を埋めるまで続きます。

このような行為は、未成熟な愛の行動ではないかと、言うかもしれませんが、幼少期には一方的に愛を受けるようになっています。

際限なく親に要求しても、親が忍耐と寛容と優しさで受け入れてくれるはずの時期が無かったのですから、当然かもしれません。

本当なら、やがて愛願欲求は満たされて心が成長していくと要求する事は少なくなり、自立への道を少しずつ歩んでいきます。

そして結婚相手を見つけて結婚をすることにより、自分と対等な立場で愛を授け受ける関係を築き上げで成長していきます。

夫婦の愛の結晶である子供を持つことにより、愛を受けるより、愛を与える喜びの方が無限に大きいと言うことを知るようになるのです。

その心がさらに成長し、自分の家庭以外に社会に世界に向かって広がっていく時に、より大きな愛の刺激を受けるようなります。

より多くの人との関わり合いの中で、他の人を喜ばしてあげることに大きな幸福を感じるようになります。

人は誰でも、他の人が幸せになってほしいと願っています。

だからこそ、人間は素晴らしいと思うのです。

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