21. 死と生命

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幸福のまじめな話

死と生命

生命って結構難しい内容なので、最初に死について、考えてみたいと思います。

人間誰でも寿命があります。80年前後で全員亡くなりになります。

いくら長寿を願ったところで、せいぜい100歳を超えるくらいです。

とすれば、いくら健康に気をつけて生きたとしても、10年か20年しか違いはありません。

人生をコーヒーで例えるなら、普通のレギュラーコーヒーか、カプチーノか、ラテか、カフェオレかです。

濃い人生か平凡な人生か。

平坦な道か、紆余曲折の道か、山あり谷ありの人生か。

限られた時間の中で、どのように生きて死ぬのでしょうか。

皆、いつかは死ぬのだけれど、死ぬ事が怖いといいます。

何故ですか?

死んだ後の事がわからないので、不安だからではないですか。

もし、あなたが断崖の縁に立っていて、飛び込んでくださいと言われたら、不安で飛び込む前に、崖の下を覗き込みませんか。

覗き込んだ崖の下が真っ暗で見えなければ、不安と恐怖を感じるのは当たり前です。

しかし、覗き込んだ崖の下が、1メートルしか高さがなく、平坦な道であったならば、飛び込むことに何の不安もないでしょう。

死後の世界をハッキリと知っていれば、死ぬことに恐怖も不安も感じません。

人間は魂と肉体からなっています

人間が死ぬということは、肉体が朽ちて無くなってしまう事は理解できますが、同時に魂=心も無くなってしまうのでしょうか。

いいえ、魂は無くなりません。

創造主が人間つくった目的は、愛の相対を創り、相互に心情の交わりをもって喜びを実感するためでした。

永遠である創造主の愛の相対である人間も、永遠の心を持っていなければならないのです。

人間の死は、蝶のように、幼虫が体を成長させ大きくなったら、蛹となり、やがて蝶となって羽ばたいてゆく姿に似ています。

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肉体という殻を脱いで、時間空間を超えた世界へと旅立ってゆく事が死ぬ事です。

あかちゃんも母親のお腹の中にいる時に、手足ができて目や耳や口が作られてゆきます。 

これらは、お腹の中にいる時に必要な物ではありません。必要なのは胎盤とヘソの尾くらいです。

産声をあげて、この世界に生まれた時に必要な器官だから、そのために準備しているのです。

胎内にいる時に、指が作られていなかったら、生まれてから大変です。

同じように、この世界で生きている間に準備しておくものがあります。

肉体は年齢とともに老いてゆき、思うように動かなくなりますが、心は益々元気で充実して豊かに成長してゆくではありませんか。

中には肉体は90歳だが、精神年齢は20歳みたいだという人もいます。

魂の成長こそが、人間が目標とする共通の課題ではないでしょうか。

では、生命とはなんでしょうか。

生命とは神様から頂いた愛の種です

神様は全ての動植物にも、愛の種を植えられたので、全てに生命があります。

愛の種が植えられた自然万物は成長し完成するようになっています。

人間が動植物を食べることは、神様の愛を体の中に取り入れているということです。

ですから、食事をいただくときは、感謝の「いただきます」と言うのです。

日本では古来かから、全ての自然万物に神様が宿っていると信じています。

それは、正しいことです。全てに神様の愛の種が植えられているのですから。

人間が自然界を大切にして、自然と共に生きなければならない理由はここにあるのです。

神様から与えられた愛の種=生命に感謝しましょう。

私自身にも生命があるのですから。

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