良心と邪心
良心とは善の方向の力です。
自分が正しい行いをする時のアクセルであり、間違った行動をしようとした時のブレーキです。
それでも、ブレーキを掛けても制止出来ずに、間違った方向に進んでしまうことが有ります。
それは、止めようとする良心にたいして、反対の力が働いていて、その反対の力の方が強いからです。
この反対の力を邪心といいます。
邪心はなぜ有るのでしょうか
この邪心があるから人間は葛藤し、悪の行為を行ってしまいます。
この邪心の正体を知れば、対処方法もきっと見つかるはずです。
邪心の性質はどのような性質でしょうか。
- 人間の心に影響を与える
- 善とは反対の方向に向かわせる
- 良心と対等できるほどの力がある
- 全ての人間に同じように作用する
- 歴史を通して人間の心に働きかける
- 誰もが無くなって欲しいと思っている
- 邪心は無慈悲で残虐性を持っている
- 邪心は叛逆、虚偽、憎悪、傲慢、殺人、暴行、虐待、蹂躙、強姦、破壊、復讐の行為をする
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このような性質を持った存在に聞き覚えがありませんか。
そうです。悪魔の性質と全く同じです。
認めたく無いのですが、私たちの心の邪心は悪魔と同じ性質も持っています。
犯罪を犯す場合も、悪魔が心に入り込んだ事を魔が差したといいます。
聖書でも、イスカリオテのユダにサタンが入ったと表現しています。
悪魔の囁きがいつも聞こえてきませんか。
その声は最初に小さくこう言います。
「ちょっとだから大丈夫」
「1回きりだから大丈夫」
「皆なしているから大丈夫」
「誰も見てないから大丈夫」
こうして、少しずつ良心の正しいレールから外れていくのです。
邪心の説明をするときは、良心と真逆の方向に導くといいました。
実際は、少しずつ方向をずらしていって、最終的に真逆の悪の行為をさせるのです。
邪心の動機は自己中心的欲望です
動機が自己中心的欲望なのですから、結果は自己中心の独裁者の世界です。
その自分勝手な欲望の追求の結果の世界は、破滅と不幸の世界です。
では、悪魔のような邪心がどうして存在するのでしょう。
人間が誕生した時から有ったのでしょうか。
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もし、最初から人間に邪心が有ったのなら、良心の呵責や罪悪感を感じるのは不自然です。
その逆の邪心の呵責や罪善感などと言う言葉や感情は存在しません。
「ああ、自分は良い事をしてしまった、助けなければ良かった」と反省しますか。
溺れている人を救助しなかった時に、
「ああ、良かった。救助しなくて」と思うでしょうか。
「世界中の人が戦争で死ねばいい」と考えるでしょうか。
腐敗した社会になる事を希望しますか。
このように、考えると邪心は最初から人間に備わっていた心では無いと言う事が出来ます。
例えるなら、つきたての餅が地面に落ちて泥まみれになった状態と同じです。
本当は白い餅だけども、泥が付いてしまって、泥まみれの餅になってしまったのです。
では、何時から何故、邪心が泥のように付いてしまったのでしょうか。
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悪の親玉が悪魔だから
だとすれば、悪に導く邪心の親玉も悪魔だということです。
悪魔が親玉だから、邪心の性質も悪魔の性質とそっくりなのです。
悪魔は人間を騙して、神様に叛逆し天界から追放されたと聖書に記されていました。
この時人間も同時に楽園から追放されています。
人間も悪魔と一緒の共犯者となってしまったわけです。
たとえ、悪魔に騙されたとはいえ、神様との約束を守らなかったのですから、共犯者となってしまったのです。
こうして、楽園から追放された人間に悪魔は邪悪な考えを洗脳し続けた結果、邪心が泥のように付いてしまったのです。
人間の心は善だった
⬇️
悪魔に騙され神との約束を破った
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神に叛逆した悪魔の共犯者となった
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悪魔により邪悪な心に洗脳された
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人間の心に邪心が泥のよう付いた
人間の良心と邪心の葛藤
人類の歴史は人間の良心と邪心の戦いでした。
自分自身の中に、二つの異なる性質が混在しているのですから。
毎日が良心と邪心の葛藤です。これを否定することは出来ないでしょう。
宗教や哲学を通じて、なんとか人間の邪心に打ち勝とうと悶々としてきた人類歴史でした。
いま、悪魔や邪心の正体を知ることで、自分自身の中に存在する邪心は、本来の自分の心ではないと言う事がハッキリと解ったと思います。
悪なる思いが自分の中に湧き上がるからと言って、自分自身を卑下し悲観する必要は有りません。
まして、自分自身の存在を否定する自殺行為は止めて欲しいと願うばかりです。
このブログを機会にして、自分自身で克服できる道を見つけて下さい。
克服方法は今度またお話しいたします。
次のトピック
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30. 指導者の心得とは






















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